伴奏というお仕事

日本はヨーロッパと違い 伴奏者というと事務的に聞こえます。

つけてあげる。
あわせてあげる。
きっちりやってあげる。


まぁ、もちろんこれらのことは当たり前にできないと 伴奏者としては失格です。

でも1番大事なこと。

それは ソリストの思いです。
特にコンツェルトの伴奏の場合は、ソリストあってこそ。
私は自分が伴奏者として 長きにわたりお仕事をしているので 私に脚光が当たらなくても全然平気です。
そしてソリストがうまくいったとき、あーーよかった、今日はうまく包んであげられたかな?弾きやすかったかな?奏でてて、幸せだったかな?と考えます。


今回のシューマンのコンツェルト。

聴いた感じより。
譜面見た感じより。
弾くと1000倍は難しい。
それこそシューマンです。
そのくせ 音楽が随所随所に、語りモードになっているので、合わせる、ということだけに終始集中できません。
どのオーケストラと共演するとしても、ねじり鉢巻になる。


ですので、合わせのときに 大変申し訳ないけれど 私がイニシアティブをとり 細かなことまで要求しました。
私のコンツェルトへの概念は(ドイツものの場合は)絶対的に《室内楽》です。
音の絹糸が いろんな色彩を持ちながら ピアノやホルンやヴァイオリンや……と紡いでいきます。
そこに一方通行は有り得ないし、そこが脆いと音楽の構築を強固に成し得ない。

当日の朝まで強弱のこと、響きのこと、残響のこと、細かくお願いしました。
できる、できないではなく、私の思いを語りました。
また、思い付きではないよう、お願いする箇所は全てきちんと理由を理論的にも感情面からも説明しました。


それを客席の皆さんがどう受け止めたかは 全く気になりません。
だって、あれが私の音楽ですから。
そして あの日の北九州伯林的オーケストラの皆さんは、なりふり構わず 私のために弾いてくださいました。
なかなかプロオケだと こうはいきません。


勝手に解釈していいわけではない。
でも 共に作り上げていく過程と、共に奏でた音楽。

それこそがソリストと伴奏者のイーブンな関係だと信じています。


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